アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
エロゲオタが非オタの彼女にエロゲ世界を軽く紹介するための10本
上の「アニオタ〜」が引き金となり、「エロゲオタ〜」のような改変コピペがあちこちで話題になっている。
「俺ならこれを紹介する」のようなリアクションが多くて、どの作品を挙げるかでその人の好みが何となく分かったりして面白かったりする。
ただ、こういう意見って総じて痛い。
「『オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる』
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女」
とか、
「『彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い』
という条件」
なんて、痛々しくて見てられない。
書いた本人も恐らくその辺り自覚的なニュアンスが感じ取れるのだけれど、それを踏まえてもやっぱり痛い。
紹介されている作品はどれも名作と呼ばれる類の物で、ぶっちゃけオタ・非オタに関わらず受け入れられる可能性が元々高い。
「アニメの世界を軽く紹介」じゃなくて、ただ単に面白いアニメを紹介しているだけ。
周知される条件が整えられれば、普段アニメ見ない様なオッサンでもリア充でもそれなりに受け入れられるような作品ばかり。
「俺の好きなアニメはこんなに素晴らしいんだよ!これがアニメ世界なんだ!」と言う単なる言い訳。
コテコテの萌えアニメを触れさせる気なんて一切無い。
それっぽく着飾った外交モードのオタクじゃないか。
「アニメ世界」とやらの中でも、一番綺麗に見えそうな部分だけを晒している。
オタクである自分を肯定して貰おうとしているだけ。
「オタクって思ってたよりもキモくないんだね!」と言って欲しいだけにしか見えない。
キモイと言われやすい作品を極力排して外面良くしようとしていて何だか不気味だ。
そもそも、先に挙げた彼女の設定なんて、受け入れられること前提じゃん。
拒絶される事をあんまり想定していないように思う。
「かのこん」とか「なのは」とか見せろよ。
「アニメ世界」とやらに萌え・エロアニメは存在しませんか?
エロゲも同じ。
「はじるす」とか「魔法少女アイ」とかプレイさせればエロゲってどういうものか肌で感じ取れると思う。
こういうのって、オタク内でもとりわけキモイと呼ばれやすいジャンル(萌え・抜き・ロリなど)に対する反発というか、奴らと俺は違うんだぜ!みたいなメンタリティが垣間見える。
オタクとして、そういうプライドの保ち方ってどうなのよ?と思わなくも無い。
ネタに熱くなるな、って感じですね。
すいません。
エロゲオタが非オタの彼女にエロゲ世界を軽く紹介するための10本
上の「アニオタ〜」が引き金となり、「エロゲオタ〜」のような改変コピペがあちこちで話題になっている。
「俺ならこれを紹介する」のようなリアクションが多くて、どの作品を挙げるかでその人の好みが何となく分かったりして面白かったりする。
ただ、こういう意見って総じて痛い。
「『オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる』
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女」
とか、
「『彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い』
という条件」
なんて、痛々しくて見てられない。
書いた本人も恐らくその辺り自覚的なニュアンスが感じ取れるのだけれど、それを踏まえてもやっぱり痛い。
紹介されている作品はどれも名作と呼ばれる類の物で、ぶっちゃけオタ・非オタに関わらず受け入れられる可能性が元々高い。
「アニメの世界を軽く紹介」じゃなくて、ただ単に面白いアニメを紹介しているだけ。
周知される条件が整えられれば、普段アニメ見ない様なオッサンでもリア充でもそれなりに受け入れられるような作品ばかり。
「俺の好きなアニメはこんなに素晴らしいんだよ!これがアニメ世界なんだ!」と言う単なる言い訳。
コテコテの萌えアニメを触れさせる気なんて一切無い。
それっぽく着飾った外交モードのオタクじゃないか。
「アニメ世界」とやらの中でも、一番綺麗に見えそうな部分だけを晒している。
オタクである自分を肯定して貰おうとしているだけ。
「オタクって思ってたよりもキモくないんだね!」と言って欲しいだけにしか見えない。
キモイと言われやすい作品を極力排して外面良くしようとしていて何だか不気味だ。
そもそも、先に挙げた彼女の設定なんて、受け入れられること前提じゃん。
拒絶される事をあんまり想定していないように思う。
「かのこん」とか「なのは」とか見せろよ。
「アニメ世界」とやらに萌え・エロアニメは存在しませんか?
エロゲも同じ。
「はじるす」とか「魔法少女アイ」とかプレイさせればエロゲってどういうものか肌で感じ取れると思う。
こういうのって、オタク内でもとりわけキモイと呼ばれやすいジャンル(萌え・抜き・ロリなど)に対する反発というか、奴らと俺は違うんだぜ!みたいなメンタリティが垣間見える。
オタクとして、そういうプライドの保ち方ってどうなのよ?と思わなくも無い。
ネタに熱くなるな、って感じですね。
すいません。
王道と聞いて、どんな要素を思い浮かべるだろうか。
ヒーロー物やバトル物なら、勧善懲悪・熱血主人公・囚われのヒロイン、といった所を思い浮かべると思う。
ラブコメなら、学園・最初からモテモテ・ヘタレ主人公、といった要素であろう。
この他にも、様々なジャンルにおいて、それぞれの王道的要素があるわけなのだが、これらの要素はなぜ王道と呼ばれるようになったのだろうか。
そんなことを考えてみました。
では、続きからどうぞ。
ヒーロー物やバトル物なら、勧善懲悪・熱血主人公・囚われのヒロイン、といった所を思い浮かべると思う。
ラブコメなら、学園・最初からモテモテ・ヘタレ主人公、といった要素であろう。
この他にも、様々なジャンルにおいて、それぞれの王道的要素があるわけなのだが、これらの要素はなぜ王道と呼ばれるようになったのだろうか。
そんなことを考えてみました。
では、続きからどうぞ。
昨今、ゲーム・マンガ・DVDその他に、「限定版」や「ショップ特典」のような形で、グッズが付く事が増えてきているように思う。
つい最近では、「絶望先生」や「ネギま」のように、新作アニメDVDをセットにした形での展開が始まり、ますますこういった販売方法が増えてくることが予想される。
新作アニメDVDのように、それ単体での価値が高いものならともかく、大抵の限定物は「限定」だとか「特典」という名前以外に価値を持っているのだろうか。
PS2らきすたの制服のように、物そのものの価値はともかく、明らかに実用性が無い物まである。
また、とらのあなやアニメイトを始めとするオタク系ショップや、エロゲを取り扱うソフマップなどは、ショップ特典と言う形でこれらのグッズをつけ、ショップ間での差別化を図っている。
悲しくも愚かなオタ達は、すべての店で特典付き商品を買い漁り、特典のみを抜き取り、新品同様の商品を中古に流す。
店からすれば、本来どこか1つの店でしか買わないはずの商品が、色んな店で複数買われる訳だから、売り上げ的に美味しいのだろう。
が、同じオタクでありながら、こうした、冷静に見れば大して付加価値の無い特典や限定版を嬉々として購入する人たちに幾許かの疑問を感じる。
ちょっと釣られすぎではないだろうか。
まー、自分も余り人の事を言えた義理ではないし、他人の金の使い方に口を出すなと言われればそれまでなのだけれど、もうちょっと賢い消費者になるべきなのではないだろうか。
消費者の数に対し、数が増えすぎてしまったメーカーや小売が生き残るためにこうした限定版や特典を付けるようになったのだろう。
ショップは特典を付けることで競合店と差別化を図り、メーカーは限定版にすることで唯一的な価値を与え、購入意欲を喚起しようとしている。
基本的にオタク関連商品は予約や初動で売り上げの大半が決まってしまうので、予約特典や限定版、ショップ特典がスタートダッシュに有利に働くという側面もある。
こうした現象はオタク関連商品に限らず、JPOPなどの規模の縮小が懸念される様々な分野で起こっており、過供給な現代における普遍的な現象なのかも知れない。
いずれにしろ、こういった、冷静になると大した価値の無い物を「価値がある」と思わせようと、売り手側は躍起になっている。
売り手側のこうした思惑にもっと自覚的になり、冷静な目で購入する商品を見極める必要があると思う。
そんな、意味も無く限定版を買ってしまって後悔している自分へ向けての記事。
つい最近では、「絶望先生」や「ネギま」のように、新作アニメDVDをセットにした形での展開が始まり、ますますこういった販売方法が増えてくることが予想される。
新作アニメDVDのように、それ単体での価値が高いものならともかく、大抵の限定物は「限定」だとか「特典」という名前以外に価値を持っているのだろうか。
PS2らきすたの制服のように、物そのものの価値はともかく、明らかに実用性が無い物まである。
また、とらのあなやアニメイトを始めとするオタク系ショップや、エロゲを取り扱うソフマップなどは、ショップ特典と言う形でこれらのグッズをつけ、ショップ間での差別化を図っている。
悲しくも愚かなオタ達は、すべての店で特典付き商品を買い漁り、特典のみを抜き取り、新品同様の商品を中古に流す。
店からすれば、本来どこか1つの店でしか買わないはずの商品が、色んな店で複数買われる訳だから、売り上げ的に美味しいのだろう。
が、同じオタクでありながら、こうした、冷静に見れば大して付加価値の無い特典や限定版を嬉々として購入する人たちに幾許かの疑問を感じる。
ちょっと釣られすぎではないだろうか。
まー、自分も余り人の事を言えた義理ではないし、他人の金の使い方に口を出すなと言われればそれまでなのだけれど、もうちょっと賢い消費者になるべきなのではないだろうか。
消費者の数に対し、数が増えすぎてしまったメーカーや小売が生き残るためにこうした限定版や特典を付けるようになったのだろう。
ショップは特典を付けることで競合店と差別化を図り、メーカーは限定版にすることで唯一的な価値を与え、購入意欲を喚起しようとしている。
基本的にオタク関連商品は予約や初動で売り上げの大半が決まってしまうので、予約特典や限定版、ショップ特典がスタートダッシュに有利に働くという側面もある。
こうした現象はオタク関連商品に限らず、JPOPなどの規模の縮小が懸念される様々な分野で起こっており、過供給な現代における普遍的な現象なのかも知れない。
いずれにしろ、こういった、冷静になると大した価値の無い物を「価値がある」と思わせようと、売り手側は躍起になっている。
売り手側のこうした思惑にもっと自覚的になり、冷静な目で購入する商品を見極める必要があると思う。
そんな、意味も無く限定版を買ってしまって後悔している自分へ向けての記事。
ストライクウィッチーズというアニメが今月から始まった。
俺も第1話を見たのだけれど、ちょっと違和感というか、気持ち悪さを感じてしまった。
今回は、この違和感について考えて行きたい。
では、続きから。
俺も第1話を見たのだけれど、ちょっと違和感というか、気持ち悪さを感じてしまった。
今回は、この違和感について考えて行きたい。
では、続きから。
「オタク」を主語にするな。
オタクを主語にしろ。
Something Orangeさんに引用されたりして、色々と考える事があった。
要するに、「オタク」って括られた中にも色んな人がいるから、偉そうに「オタクは○○だ」とか言うなよ、という話。
絶望先生でもちょうど似たような話があり、非常にタイムリーだなと思った。
俺の未熟で偉そうな記事はまあ、ツッコミどころ満載だった訳で、ごめんなさいと言うしか無いんでここでは言及しない。
長いので続きから。
オタクを主語にしろ。
Something Orangeさんに引用されたりして、色々と考える事があった。
要するに、「オタク」って括られた中にも色んな人がいるから、偉そうに「オタクは○○だ」とか言うなよ、という話。
絶望先生でもちょうど似たような話があり、非常にタイムリーだなと思った。
俺の未熟で偉そうな記事はまあ、ツッコミどころ満載だった訳で、ごめんなさいと言うしか無いんでここでは言及しない。
長いので続きから。
本当のガンダムは自分のことを「ガンダム」と呼称しない。
これだけ。「俺って○○ガンダムだからさぁ??」とか公言する人は、
誰かに対してポージングしているにすぎない。
自称することで「俺ってガンダムマイスターなんだよ」という虚勢をはっているだけ。
本当の「ガンダム」は自分が「ガンダム」であるかどうかなんてまったく気にしない。
本当の「ガンダム」は戦うべき対象(ユニオン、AEU、人類革新連盟等)について、
もっと詳しく知りたくなり、戦争根絶のためにどこまでも戦い続けていく。
そして、その武力介入の過程を楽しんでいるのであって、
武力介入の結果を自慢気に他人に語ることを楽しんでいるのではない。
また、武力介入の過程を楽しんでいるから戦闘の結果が芳しくなくても気にしない。
なぜなら武力介入という行為そのものに意義を見出しているのだから。
同じように武力介入の過程を楽しんでいるから、その行為を他人がどう評しても気にならない。
「他人がどう思おうがそれがどうした。私は好きで武力介入しているのだ」。
正統な「ガンダム」とはこういったものであると考えている。
それ以外は全部「ガンダム」の名を冠するに値しない存在。
もしくは「中二病」と呼称すべきである。
参考:ヲタクを見分けるたった一つの簡単な方法
これだけ。「俺って○○ガンダムだからさぁ??」とか公言する人は、
誰かに対してポージングしているにすぎない。
自称することで「俺ってガンダムマイスターなんだよ」という虚勢をはっているだけ。
本当の「ガンダム」は自分が「ガンダム」であるかどうかなんてまったく気にしない。
本当の「ガンダム」は戦うべき対象(ユニオン、AEU、人類革新連盟等)について、
もっと詳しく知りたくなり、戦争根絶のためにどこまでも戦い続けていく。
そして、その武力介入の過程を楽しんでいるのであって、
武力介入の結果を自慢気に他人に語ることを楽しんでいるのではない。
また、武力介入の過程を楽しんでいるから戦闘の結果が芳しくなくても気にしない。
なぜなら武力介入という行為そのものに意義を見出しているのだから。
同じように武力介入の過程を楽しんでいるから、その行為を他人がどう評しても気にならない。
「他人がどう思おうがそれがどうした。私は好きで武力介入しているのだ」。
正統な「ガンダム」とはこういったものであると考えている。
それ以外は全部「ガンダム」の名を冠するに値しない存在。
もしくは「中二病」と呼称すべきである。
参考:ヲタクを見分けるたった一つの簡単な方法
人間をモノ扱いして新品を要求する図々しい卑劣漢と、自分に都合の良い妄想に浸るキモいオタク
結局、ヒロインに求めるのは処女性かよ。
処女性?
オタクの処女信仰について書こうと思っていたら、面白い議論があったので紹介。
本題に入る前に、ごっちゃにならないように整理しておきたいのが、「処女」と「処女性」の違い。
「処女」は、男とセックスした事がないという事。
「処女性」はセックスした・してないという事実自体じゃなく、純粋さ、何者にも染まってない感じ、初々しさ、一途な感じ、といった、方向の性質。
俺は、「処女性」という概念の中に「処女」という概念が含まれているというイメージを持っている。
「処女性」を強く象徴したものが、「処女」であると考えている。
以下、こういうニュアンスで話を進める。
もし世間一般の捉え方と違ったらご指摘ください。
本題は、続きからどうぞ。
結局、ヒロインに求めるのは処女性かよ。
処女性?
オタクの処女信仰について書こうと思っていたら、面白い議論があったので紹介。
本題に入る前に、ごっちゃにならないように整理しておきたいのが、「処女」と「処女性」の違い。
「処女」は、男とセックスした事がないという事。
「処女性」はセックスした・してないという事実自体じゃなく、純粋さ、何者にも染まってない感じ、初々しさ、一途な感じ、といった、方向の性質。
俺は、「処女性」という概念の中に「処女」という概念が含まれているというイメージを持っている。
「処女性」を強く象徴したものが、「処女」であると考えている。
以下、こういうニュアンスで話を進める。
もし世間一般の捉え方と違ったらご指摘ください。
本題は、続きからどうぞ。
でも爆発しない。
悲しいけどこれ、現実なのよね。
ネットを見回してて(あるいは実社会でも)、学歴に関する話っていうのは、人も集まるし荒れやすい。
誰もが一寡言持ってる。
高学歴も低学歴もそれぞれが、学歴あるいは「それ以外」の重要性、社会に出てからの努力次第、といった持論を展開する。
これだけ色んな人が学歴について語れるっていうのは、実は学歴って物の本質を表しているように、俺は思う。
つまり、すべての人間を「学力」という基準で評価できる、というシステムが学歴なのだ。
中卒のAさんも、東大卒のBさんも、「学力という基準なら」簡単に比較し、優劣を付けられる。
学歴って言うのは、テストによって能力(学力)を数値化して、人の能力を判定するものだ。
これが絵の上手さなんかだと、厳密に点数を付けることは極めて困難だ。
極低レベルな絵と凄く上手い絵を比較するのは比較的簡単だが、上手い人同士だと難しくなる。
すごく適当な例だけど、ゴッホとミケランジェロの絵はどっちが上手いか?と言われても、人の好みによって異なるだろうし、明確な基準は付けられない。
数値化して優劣付けられないのだ。
絵の上手さに限らず、社会で使われる様々な能力は、数値化してどっちが凄いか比べるのは困難なものが多い。
ところが学歴なら、すべての人がテストによって明確に点数をつけられ、学歴と言う形で区別される。
社会において何だかんだ言っても学歴が重視されるのは、一番世の中で普及していて分かりやすい「ものさし」だからだ。
そして、それを支えるのは、高学歴の人はやっぱり比較的「デキる」人が多かったという経験則だろう。
もちろん、「学歴というものさし」では上手く強み・凄さが測れなかった人も大勢居る。
そういう人で、世間的に大きな成功を収めている人の殆どが、「自分にあったものさし」で相手に自分を測らせて、凄さを見せ付けるだけの努力をしている。
学歴だけが重要ではないが、学歴もやっぱり重要である、と俺は思う。
「世の中で一番人を測りやすい」という強みを無視して学歴批判をするのは間違っているし、「学歴だけがものさしではない」事を理解せずに学歴のみを絶対の価値観だと信じる事は愚かだ。
以上、低学歴な俺がお伝えしました。
悲しいけどこれ、現実なのよね。
ネットを見回してて(あるいは実社会でも)、学歴に関する話っていうのは、人も集まるし荒れやすい。
誰もが一寡言持ってる。
高学歴も低学歴もそれぞれが、学歴あるいは「それ以外」の重要性、社会に出てからの努力次第、といった持論を展開する。
これだけ色んな人が学歴について語れるっていうのは、実は学歴って物の本質を表しているように、俺は思う。
つまり、すべての人間を「学力」という基準で評価できる、というシステムが学歴なのだ。
中卒のAさんも、東大卒のBさんも、「学力という基準なら」簡単に比較し、優劣を付けられる。
学歴って言うのは、テストによって能力(学力)を数値化して、人の能力を判定するものだ。
これが絵の上手さなんかだと、厳密に点数を付けることは極めて困難だ。
極低レベルな絵と凄く上手い絵を比較するのは比較的簡単だが、上手い人同士だと難しくなる。
すごく適当な例だけど、ゴッホとミケランジェロの絵はどっちが上手いか?と言われても、人の好みによって異なるだろうし、明確な基準は付けられない。
数値化して優劣付けられないのだ。
絵の上手さに限らず、社会で使われる様々な能力は、数値化してどっちが凄いか比べるのは困難なものが多い。
ところが学歴なら、すべての人がテストによって明確に点数をつけられ、学歴と言う形で区別される。
社会において何だかんだ言っても学歴が重視されるのは、一番世の中で普及していて分かりやすい「ものさし」だからだ。
そして、それを支えるのは、高学歴の人はやっぱり比較的「デキる」人が多かったという経験則だろう。
もちろん、「学歴というものさし」では上手く強み・凄さが測れなかった人も大勢居る。
そういう人で、世間的に大きな成功を収めている人の殆どが、「自分にあったものさし」で相手に自分を測らせて、凄さを見せ付けるだけの努力をしている。
学歴だけが重要ではないが、学歴もやっぱり重要である、と俺は思う。
「世の中で一番人を測りやすい」という強みを無視して学歴批判をするのは間違っているし、「学歴だけがものさしではない」事を理解せずに学歴のみを絶対の価値観だと信じる事は愚かだ。
以上、低学歴な俺がお伝えしました。







